日本のバラエティ番組と笑いの歴史 – 神話を起点に紐解く笑いの儀式と文化の境界

日本のテレビバラエティと笑いの本質に迫る歴史紀行コラム。古事記のアメノウズメの神話から江戸演芸、現代のテレビスタジオまでを巡り、聖なる儀式としての「笑い」の空間と、時代とともに変化した社会的境界の物語を紐解きます。

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本記事は、日本のテレビバラエティ番組と「笑い」の歴史を探求する文化・歴史紀行コラムです。『古事記』に描かれる天宇受売命の岩戸隠れ神話から、江戸時代の落語、そして現代のスタジオバラエティまでを巡り、笑いに潜む聖なる儀式性や社会的境界を探究します。読者は神話・演芸・現代メディアが交錯する独自の視点から、日本の笑い文化の本質と変遷を深く理解できます。


笑い声は、遠くなる。

月日の流れとともに、あらゆるものは薄れていく。祭りの喧噪も、縁日の灯りも、寄席の高座から響いた爆笑の余韻も——やがてそれらは記憶の奥へと沈み、いつしか形を失う。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』のなかで、日本の美というものは闇のなかにこそ宿ると書いた。漆器の深い光沢は暗がりのなかで完成され、金屏風の輝きは篝火の揺らぎによって命を得る。完全な照明のもとでは、美はその神秘を失う。

笑いもまた、同じことが言えるかもしれない。

封じられていたからこそ輝いていた笑いがある。壁の内側にあったからこそ意味をもっていた笑いがある。そして、その壁が取り払われたとき——外の光がいっせいに差し込んだとき——内側にあったものは、美しさとともに、かねてより隠されていたものをも露わにした。

二〇二六年九月。一本の短い映像がX(旧Twitter)上に流れ着き、数日のうちに五千六百万回以上再生された。一九九六年から二〇一八年にかけてフジテレビで放映されたバラエティ番組「めちゃ×2イケてるッ!」内の、ある企画の断片。時は二〇一三年。専門家の目から見れば、文脈のある、枠組みのある、役割分担のあるコント映像である。だが、SNSの海を渡った十数秒の動画は、そのすべてを剥ぎ取られ、ただの「行為」として世界中に届いた。

この随筆は、その映像のことを書こうとするものではない。

その映像を生み出した、より深いところにある何かのことを——日本の笑いが持ついにしえからの文法のことを、それが育まれた闇のことを、そしてその闇が失われることの哀しさを——書こうとするものである。

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観光の歴史に関する魅力的な物語に注意深く耳を傾けてください3

会話型放送では


一、天岩戸の笑い――闇の中で生まれるもの

『古事記』に記された天岩戸の物語を読むたびに、笑いというものの根源について深く考えさせられる。

天照大御神が岩戸に籠もり、高天原は暗闇に包まれた。八百万の神々が途方に暮れるなか、天宇受売命は伏せたる桶の上に立ち、神懸りして舞い始めた。その舞いは、静謐な祈りではなかった。形容するならば、憑かれたような、どこか破格の、日常の礼儀から大きく逸脱した舞いであった。そして、その舞いを見た八百万の神々は——声を揃えて笑った。

その笑いが、世界を救った。

笑い声を聞いた天照大御神が岩戸をわずかに開けた。その瞬間、光が戻った。

この神話構造が示すことは何か。笑いとは、単なる娯楽ではない。笑いとは、閉ざされた何かを開く力である。笑いとは、共同体が一体となって放出する、宇宙的なエネルギーである。そして——これが肝要なのだが——その笑いは、ある特定の「場」のなかで、特定の「文脈」のなかで生まれた。高天原に集う八百万の神々という「共同体」がいて、その全員が岩戸の前に集っているという「状況」があって、はじめてあの笑いは成立した。

民俗学者・柳田国男はその著書のなかで、笑いには二つの顔があると論じている。ひとつは、共同体を再生させる「神聖な笑い」。もうひとつは、「安全に笑える存在」を定めることで共同体内部の境界線を引き直す「攻撃的な笑い」。天岩戸の笑いは前者の典型である。だが、笑いの歴史をたどれば、この二つは常に混ざり合い、時に区別がつかないまま流れ続けてきた。

日本のバラエティ番組とは、この二つの笑いが、千数百年の時を経て、電波に乗った姿である。

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The Sacred Ritual Hiding In Japanese Comedy


寄席という宇宙――陰翳の建築学

江戸の「寄席」は、一種の宇宙であった。

外の世界では、武士は礼法を守り、商人は商いの顔をつけ、農民は土地に縛られた。誰もが「表向きの顔」(建前)を保ちながら生きていた。感情を大っぴらに表すことは、多くの場合、不作法とされた。笑いも同様である——大声で笑うことは、公の場においては憚られた。

しかし、人間は笑わずには生きられない。

だから社会は、笑いのための「場所」を作った。寄席である。

寄席の暖簾をくぐれば、別の法則が支配する別世界が広がっていた。高座では、落語家が殿様を笑いものにし、狂言師が武士の愚かさを演じた。観客は腹を抱えて笑い、日常では言えないことを笑いで消化した。寄席の壁は、単なる木と紙でできた構造物ではなかった。それは「ここまでは許される」という社会的契約の、目に見える形だった。

谷崎は陰翳について、こう書いている。「われわれの祖先の天才は、否応なく与えられた暗さの中に美を発見し、やがては美の目的に沿って陰翳を利用するに至った」と。

寄席の笑いも、そうであった。

壁の内側の薄暗さのなかにあってこそ、笑いは輝いた。隠されていたからこそ意味があった。外の世界との対比があってこそ、寄席の空気は特別なものとなった。谷崎の言葉を借りれば、寄席は「闇のなかに宿る美」の場であった——笑いという美が、闇(=閉じた空間)によって守られていた。

一九五三年、日本にテレビ放送が始まった。

寄席の論理は、そのままスタジオへと引っ越した。

天岩戸の笑い――闇の中で生まれるもの
天岩戸の笑い――闇の中で生まれるもの


二、吉本と笑いの行方――大阪から全国へ

一九一二年、浪速の難波に、吉本せいとその夫が小さな寄席を開いた。以来、吉本興業は百年をかけて、日本最大の芸能プロダクションへと成長した。

大阪は笑いの都である。江戸時代から商人の町として栄えた大阪では、武士道より経済が、格式より実利が優先されてきた。上方漫才の笑いは、東京の落語よりも身体的で、より直接的で、より大きかった。大阪の人々は笑いを、生活そのものとして育ててきた。

しかし吉本興業が成し遂げたことは、笑いの「産業化」である。

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The Hr Department Of Humiliation

漫才の「ボケ」と「ツッコミ」という構造——失敗する者と、それを正す者——は、吉本興業のシステムのなかで精密に磨き上げられ、商品として流通するようになった。後輩芸人は先輩からのいじりを受け入れることを求められ、それを笑いに変える技術こそが生き残りの条件となった。舞台を降りれば師弟関係に縛られ、舞台の上では「いじられキャラ」として機能することを期待される——そうした構造が、長い年月をかけて当然のものとして根づいていった。

寄席の壁のなかでのみ機能するはずだった「安全に笑える存在」という役割が、芸能界の人間関係そのものに組み込まれていったのである。

これは責めるべきことなのか、それとも大きな文化的必然の一部なのか——今の時点では、どちらとも断言できない。ただ、笑いが産業となったとき、その内部に何らかの無理が生じたことは確かである。

笑いを売る者あり、笑われる者あり—— いずれも寄席の中の役者かな

吉本と笑いの行方――大阪から全国へ
吉本と笑いの行方――大阪から全国へ


三、失われた年月の笑い――バブル後の精神史

松尾芭蕉は『奥の細道』の冒頭に書いた。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」と。

時間は旅人である。そして旅人はいつも、何かを置き去りにしながら歩いていく。

一九八九年から一九九一年にかけて、日本のバブル経済が崩壊した。土地も株も夢も、すべての価格が収縮した。失われた十年、やがて失われた二十年と呼ばれる長い停滞が始まった。終身雇用の神話は崩れ、若者たちは不透明な未来に向き合うこととなった。

一九九六年十月、フジテレビで「めちゃ×2イケてるッ!」が始まった。

番組は二〇一八年三月まで、二十二年にわたって放映された。その二十二年間は、ほぼそのまま「失われた年月」と重なる。

偶然の一致ではないかもしれない。

経済的に傷ついた社会は、どこかに傷を転嫁する出口を必要とする。バラエティ番組の「罰ゲーム」というフォーマット——失敗した者が身体的・社会的な罰を受ける構造——は、テレビの前の視聴者に「自分よりも下にいる誰か」を提供することで、集団的な不安を一時的に和らげる機能を持っていた。柳田国男の言う「安全に笑われる存在」が、ゴールデンタイムに大量生産されていた。

だが、ここで立ち止まって考えてみたい。

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How Ijiri Weaponized Public Humiliation

バラエティ番組が純粋に「笑いを搾取する装置」であったとすれば、なぜあれほど多くの人々が、長年にわたって愛し続けたのか。なぜ芸人たちは、傷つきながらも笑いを求め続けたのか。

答えは、きっと単純ではない。

寄席の笑いには、社会の痛みを一時的に忘れさせる力があった。バラエティのスタジオには、本物の笑いの瞬間もあった。疲れた社会のなかで、週に一度、家族や友人とともにテレビの前に集い、腹を抱えて笑う——その時間に、どれだけの人々が救われたか。

「良かったもの」と「悪かったもの」は、ひとつの川の、両方の岸にある。川そのものを消すことはできない。

物の哀れとは、美しいものが美しいゆえに失われていくことへの感受性である。日本のバラエティ番組の笑いには、その両義性のなかに、確かに美しい瞬間があった。そしてその美しさと、その影の深さは、表裏一体であった。

失われた年月の笑い――バブル後の精神史
失われた年月の笑い――バブル後の精神史


四、十三年目の映像――封印が解けるとき

二〇一三年八月三日。フジテレビのFNS二十七時間テレビ。その中の「めちゃイケ」特別企画「爆烈お父さん」のコーナー。

加藤浩次が演じたのは、「加藤龍雄」という架空の四十八歳の父親——いかなる無礼にもプロレス技で応じるというキャラクター設定のコント映像である。AKB48のメンバーをゲストに迎えたその企画において、いくつかの激しい身体的アクションが行われた。

その映像は、文脈のなかに在った。架空の父親という設定があり、笑いの文法を熟知した出演者たちがいて、深夜の二十七時間マラソン放送という特殊な場の雰囲気があった。スタジオの観客も、テレビの前の視聴者も、そのほとんどは「寄席」の暖簾をくぐるようにして、その特殊な空間の契約に同意していた。

しかし、BPO(放送倫理・番組向上機構)は同年十月二十二日、正式な意見書を公表した。「足でひとの顔を踏みつけることは、人の尊厳に関わる行為です」と。機構はその言葉をもって、寄席の壁の内側にあったものを、外側の言葉で評価した。その評価は、正しかった。

加藤浩次自身も、二〇二〇年のラジオ番組で振り返っている。撮影を重ねるうちに感覚が麻痺していった、と。当時の自分の行動を、肯定することはできないと。その言葉もまた、真実であった。

では、二〇二六年九月に、その映像が文脈を剥ぎ取られた形でXに流出し、五千六百万回再生されたとき、何が起きたのか。

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The Clip That Broke Japanese Comedy

谷崎の「陰翳礼讃」に、こんな一節がある。「われわれは美しいものを作ろうとするのではなく、美しさの幻を作ろうとする(中略)そういう理解のもとに陰翳を用いる」と。

寄席の笑いは、ある種の「美しさの幻」であった。壁の内側にあってこそ成り立つ幻。しかしその幻は、外の光を完全に遮断することによってのみ維持されていた。デジタル時代の光は、そのような遮断を許さない。

集英社オンラインの報道によれば、映像が拡散するにつれて「二〇一三年に放映」「ロールプレイの設定」「BPOの審議」といった文脈情報は次々と削ぎ落とされていったという。残ったのは、行為の映像と、その外の笑い声だけであった。

五千六百万の眼が、壁のない場所でその映像を見た。

寄席の暖簾をくぐらずに、舞台だけを見た。

そのとき笑いは、笑いではなくなった。

十三年目の映像――封印が解けるとき
十三年目の映像――封印が解けるとき


五、水の上の球体――フジテレビという問い

東京湾、お台場の人工島に、フジテレビ本社がある。

建築家・丹下健三が設計したその建物は、一九九七年に完成した——「めちゃイケ」放送開始の翌年である。二棟のタワーの間に、チタン張りの球体が吊り下げられている。球体は地に着いていない。かといって空に向かって上昇しようともしていない。ただ、浮かんでいる。

浮かんだまま、何かを待っているように。

二〇二四年末、週刊文春の報道をきっかけに、フジテレビは深刻な危機を迎えた。元SMAPの中居正広をめぐる問題と、局の対応への批判。翌二〇二五年一月、次々と広告主が撤退した。トヨタ、日産、マクドナルド、資生堂——一週間のうちに七十五社以上。一月末には百二十社以上に拡大したとも報じられた。会長と社長が辞任した。

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The Scandal That Broke Japanese Television

批評家の平野啓一郎は、こう言った。「お笑いの文化は、長年にわたってハラスメントや性的ハラスメントを笑いのネタとして消費してきた」と。

その言葉は、痛い。しかし、おそらく正しい。

第三者委員会の調査が明らかにしたのは、個人の逸脱ではなく、構造の問題であった。出演機会をめぐる権力の非対称性、声を上げることのできない業界の空気、長年にわたって「当たり前」として機能してきた慣行——それらは、バラエティ番組のスタジオのなかで何十年もかけて形成されてきたものだった。

「いじり」の文化は、舞台の上でも、その外でも、同じ土台の上に成り立っていた。

球体は今も、水の上に浮かんでいる。

下がりも、上がりもせず。

水の上の球体――フジテレビという問い
水の上の球体――フジテレビという問い


笑いの行方――うつろいの果てに

兼好法師は『徒然草』の冒頭に書いた。「つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と。

意味もなく、ただ心に浮かぶことを書きつける——これが随筆の精神である。

この文章を書き終えようとする今、私の心にうつるのは、笑いの行方についての静かな問いである。

天宇受売命の舞いは、世界を救った。しかしその舞いが世界を救い得たのは、その場にいた八百万の神々が、全員がその状況を共有していたからである。共同体が一体となって笑うとき、笑いは宇宙的な力を持つ。その共同体が失われたとき——あるいは、共同体の外に映像だけが漏れ出たとき——笑いは力を失い、ときに傷に変わる。

寄席の壁は、今や存在しない。アルゴリズムは地域も年代も文脈も乗り越えて、映像を世界中に届ける。それは民主化であり、同時に喪失でもある。

では、壁のない時代に、笑いはどうあるべきか。

答えを持っているわけではない。ただ、次のことは言えると思う。

壁が失われた今、笑いはその姿を外の光のなかで問われることになった。「なぜ笑うのか」「誰のために笑うのか」「誰を傷つけていないか」——これらの問いは、寄席の壁が守っていた時代には、問われずに済んでいた。今は、問われる。

それは苦しいことかもしれない。しかし、必要なことかもしれない。

天照大御神が岩戸を開けたのは、笑い声を聞いたからである。聞こえなかったのではない。あの笑いは、岩戸の外にまで届いた。そして届いたからこそ、光が戻った。

笑いが届く場所が広がることは、本来、光が広がることのはずである。

ただし、それには条件がある——届く笑いが、本当に誰かを傷つけない笑いでなければならない、という条件が。

日本のバラエティ番組は今、その条件を問われている。問いに答えることは、容易ではない。しかし問いそのものは、健全である。

笑いは、今も旅を続けている。

どこへ向かうのか、まだ誰にもわからない。

笑い声  遠くなりけり  春の暮



🔍 よくある質問(FAQ)

Q1:日本社会において「お笑い」や芸人が重視される理由とは?

A1: 日本社会においてお笑いは単なる娯楽を超え、人間関係の潤滑油や緊張緩和の重要な手段として機能しています。上下関係や場をわきまえる文化が強い日本において、「ボケとツッコミ」といった共通の笑いのフレームワークは、角を立てずに本音を覗かせたり場の雰囲気を和らげたりする高度なコミュニケーション技術です。厳しい養成所や劇場下積み、賞レース(M-1グランプリ等)を勝ち抜いたお笑い芸人は、言葉選びや間(ま)の達人として社会的に高く評価され、テレビや各種メディアでも強い影響力を持っています。

Q2:落語と漫才の根本的な違いは何ですか?初心者におすすめの観劇スタイル A2: 落語と漫才の最大の概念的な違いは、演者の人数・姿態とストーリー構成にあります。落語は着物姿の演者が高座に座り、扇子と手拭いだけを小道具に一人で何役も演じ分ける伝統的な古典語り芸です。一方、漫才は2人(または複数人)が立ち姿でマイクの前に立ち、ボケとツッコミの掛け合いによってテンポよく笑いを生み出す現代的な演芸スタイルです。ストーリーの情緒や人間模様を楽しみたい方は寄席での「落語」、スピード感やテンポの良い笑いを楽しみたい方は吉本劇場などの「漫才」観劇がおすすめです。

Q3:日本語が分からない外国人観光客でも日本のお笑いを楽しめる方法はある? A3: 日本語の細かな言葉遊びが分からなくても、視覚的・身体的なパフォーマンスを中心に構成されたお笑いなら十分に楽しめます。例えば、大阪の「なんばグランド花月」などで上演される吉本新喜劇は、ベタなリアクションや転倒シーン、わかりやすいストーリー展開など、言葉の壁を超えたコメディ要素が満載です。また、海外字幕に対応した日本のバラエティ番組やリアリティ番組(『Documental』など)を動画配信サービスで鑑賞することで、日本独自の笑いの間やツッコミ文化の空気感を直感的に理解することができます。


参考文献とさらに読む

第一層:一次資料と制度的起源

  • 『古事記』(Kojiki), 712 CE — Amano-Iwato narrative, Book 1. Held at National Archives of Japan.
  • UNESCO Intangible Cultural Heritage inscription: "Nōgaku Theatre" (2008), which covers the Kyōgen tradition.
  • 『放送と青少年に関する委員会』BPO (Broadcasting Ethics & Program Improvement Organization) published committee records, bpo.gr.jp.
  • Yoshimoto Kogyo corporate history archive, Osaka.
  • Ministry of Economy, Trade and Industry records on entertainment conglomerate formation.
  • BPO 放送青少年委員会 (Youth Committee) records, bpo.gr.jp — including the October 22, 2013 decision on the FNS 27時間テレビ Bakuretsu Otōsan segment.
  • Fuji TV annual ratings and program schedule archives (部分公開).
  • BPO 放送青少年委員会 審議結果, October 22, 2013. Full text at bpo.gr.jp. (Japanese language — bibliographic citation: 「FNS27時間テレビ」内の「爆烈お父さん」に関する意見.)
  • 集英社オンライン (Shueisha Online), September 2026 report on the clip's recirculation and context stripping. (Japanese language.)
  • Third-party investigation committee report (独立調査委員会報告書), submitted to Fuji Media Holdings, March–July 2025. (Partially public; full report not published.)
  • Fuji TV self-examination broadcast, July 2025 (testimony from internal announcer identified as "Director F").
  • Fuji Media Holdings vs. Minato Kōichi and Ōta Tōru, lawsuit filing, August 28, 2025. (Japan Times coverage.)

第2層:二次学術文献

  • Yanagita Kunio (柳田國男), 『笑いの本がん』(A Literary History of Laughter), 1946.
  • Jayson Makoto Chun, "A Nation of a Hundred Million Idiots"?: A Social History of Japanese Television, 1953–1973 (Routledge, 2007).
  • J. Milner Davis (ed.), Understanding Humor in Japan (Wayne State University Press, 2006).
  • Gabriella Lukács, Scripted Affects, Branded Selves: Television, Subjectivity, and Capitalism in 1990s Japan (Duke University Press, 2010).
  • Inoue Takumi, "Historical Development and Structural Dynamics of 'Laughter' in Japanese Society," note.com, September 2026.
  • Reconsidering Postwar Japanese History, Chapter 12: "Japan's Got Talent: The Rise of Tarento in Japanese Television Culture" (Cambridge University Press, 2024).
  • William Feeney, "Smiles and Scars" (University of Chicago working paper on ijime and variety television), 2020s.
  • Gabriella Lukács, Scripted Affects, Branded Selves (Duke UP, 2010).
  • Kim, Youna (ed.), Television, Nationalism, and Cultural Change in Postwar Japan — ResearchGate academic journal chapter (2003).
  • Hollywood Reporter, "Why Japan Is on the Precipice of a Content Boom," September 2024 — includes analysis of the post-bubble creative stagnation in commercial TV.
  • BlockTempo (動區動趨), "13年前日本綜藝片段「用腳踹AKB成員的臉」在X爆紅,全世界罵翻了," September 5, 2026 — summarises the Shueisha Online report in Traditional Chinese.
  • Tanaka, M. et al., "The Fuji TV scandal: From sexual assault to corporate disaster," Journal of Japanese Studies (Tanfonline, 2026) — peer-reviewed; analyses the governance failure and the #MeToo amplification.
  • nippon.com, "Network on the Ropes: Fuji TV's Way Forward in Wake of Nakai Scandal," January 2026.

第三層:経絡の補修

  • Lafcadio Hearn, Japan: An Attempt at Interpretation (1904) — "The Japanese Smile" chapter, on the social mask function of laughter.
  • The late comedian Tamori's retrospective accounts of the Yoshimoto system (documented in various Japanese-language interview archives).
  • 加藤浩次 (Koji Kato)'s retrospective account of the Bakuretsu Otōsan segment escalation, given on Nobuyuki Sakuma's radio program, 2020. (Reported by 集英社オンライン, 2026.)
  • 加藤浩次 (Koji Kato), radio reflection on Bakuretsu Otōsan,佐久間宣行のANN0, 2020 (audio; no public transcript confirmed). Reported secondhand in Shueisha Online, 2026.
  • Kano Shūji (former Fuji TV chairman), public apology statement, January 27, 2025.
  • Rising Sun Management (affiliate of Dalton Investment), shareholder demand letter for independent investigation, January 2025.

歴史記述上の空白:

  • The specific transmission mechanism by which the Amano-Iwato mythological grammar entered the institutional design of commercial television entertainment (rather than simply "influencing" it as cultural background) has not been directly theorised in English-language scholarship. 建議進一步查證原始檔案 in the broadcasting administration records of NHK (1953–1970) for any explicit cultural-nationalist framing of television's role as communal catharsis.
  • Comparative institutional analysis of Yoshimoto Kogyo's power within the variety entertainment ecosystem against international equivalents (e.g., the BBC light entertainment system, the American broadcast network model) has not been systematically conducted in English. The specific mechanism by which Yoshimoto's senpai/kouhai ijiri practices entered variety show production design — as opposed to simply being individual performers' behavior — is not clearly documented in any publicly available archive. 建議進一步查證原始檔案.
  • There has been no systematic quantitative study in English correlating the 罰ゲーム format's peak viewership periods with indicators of national social anxiety (unemployment rates, trust-in-institutions surveys, etc.). The hypothesis that variety entertainment functioned as a socially-sanctioned anxiety valve in the post-bubble period is culturally plausible and supported by adjacent scholarship but has not been directly tested. 建議進一步查證原始檔案.
  • The 2013 AKB48 member involved has not, to date of this research, made a public statement about the 2026 recirculation. The asymmetry between the scale of the 2026 viral event and the absence of the primary subject's voice is a significant historiographical gap. Additionally: the precise algorithmic mechanism by which the clip resurfaced on X in September 2026 — whether organic, amplified, or originated by a specific account type — has not been publicly documented. This matters for understanding whether the recirculation was spontaneous cultural rediscovery or manufactured controversy. 建議進一步查證原始檔案.
  • The relationship between the variety entertainment production culture and the specific conditions enabling the 2023 incident has not been formally established in the investigative record — the investigation focused on the cover-up rather than the structural preconditions. The question of whether reform of variety show production practices is an explicit part of Fuji TV's institutional remediation is not publicly documented. 建議進一步查證原始檔案.

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