(JPN) 東京の日常に隠されたタイムカプセル。練馬「旧中新井村」をめぐる、あなたの知らない5つの物語

ビールの歴史を拓いた一粒の麦、アスファルトの下に眠る古代人の足跡、バス停の名前に残る商業の記憶、都会の森として生き続ける村の魂、そして道端の石に刻まれた庶民の祈り。これら5つの物語は、東京という都市が、中新井村のような無数の「忘れられた村」の記憶が幾重にも重なってできた、豊かなモザイクであることを教えてくれます。

「三之橋庚申塔」ばとうかんのん
「三之橋庚申塔」ばとうかんのん
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貫井川綠道 Nukui River Green Road > 豐玉冰川神社 Toyotama Hikawa Shrine

🎧東京旧中新井村
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観光の歴史に関する魅力的な物語に注意深く耳を傾けてください

会話型放送では

はじめに:毎日歩いている東京

どこまでも続く住宅街、整然と区画された道、そして時折現れる公園や商店街。多くの人が思い描く東京の姿、特に練馬区の風景は、そんな穏やかで均質なイメージかもしれません。しかし、私たちが毎日何気なく歩いているアスファルトの下には、一体どれほどの物語が眠っているのでしょうか。

この静かな街並みの下には、かつて「中新井村(なかあらいむら)」と呼ばれた村の記憶が、時を超えて息づいています。それは、現代の東京が覆い隠してしまった、もう一つの時間への入り口。これからご紹介する5つの物語は、ありふれた日常に隠された驚くべき歴史の扉を開く鍵となるでしょう。

source: https://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/13B0100015.html
source: https://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/13B0100015.html

日本のビール史は、この地の一粒の麦から始まった

明治時代の日本が近代化へと突き進む中で、国内の産業を支える原材料の国産化は国家的な課題でした。西洋文化の象徴であったビールの製造も例外ではなく、その原料となる大麦は輸入に頼らざるを得ない状況でした。そんな時代に、東京の片隅の小さな農村、中新井村が日本のビール産業の歴史を塗り替えるイノベーションの中心地となったのです。

物語の主役は、篤農家の金子丑五郎(かねこ うしごろう)。彼は国産ビールの需要拡大を予見し、1900年(明治33年)、在来の六条大麦「四国」と米国産「ゴールデンメロン」の自然交雑種から、画期的な新品種を選抜することに成功しました。それが「金子黄金(かねこゴールデン)」です。この品種は早熟で倒れにくく、収穫が容易であったため関東一円に広まり、日本のビール醸造が輸入原料への依存から脱却する大きな一歩となりました。さらに「金子黄金」は、後の「エビス一号」をはじめとする多くの優良品種の親となり、文字通り日本のビール史の礎を築いたのです。

明治時代の東京の片隅で、一人の篤農家が見た夢が、日本の近代ビール産業そのものの礎を築いたのです。

この歴史は今も、私たちの目の前にその姿を残しています。旧中新井村の鎮守であった**豊玉氷川神社にある「ビール麦金子ゴールデン之碑」「練馬金子ゴールデン」が特徴の、歴史が醸した一杯です。しかし、この村の歴史は、明治時代よりもはるかに深く、古くまで遡るのです。

豊玉氷川神社「ビール麦金子ゴールデン之碑」
豊玉氷川神社「ビール麦金子ゴールデン之碑」

アスファルトの下には、古代人の足音が眠っている

現代の都市インフラは、その土地が持つ本来の地形や、そこに刻まれた古代の記憶を覆い隠してしまいます。しかし、中新井村を流れていた古の水路をたどることで、私たちは数千年という時間を遡り、この土地の原風景に触れることができます。

驚くべきことに、旧中新井川流域の遺跡発掘調査では、古い水田の跡から古代人の足跡が発見されました。これは、江戸時代の村が成立するはるか以前、弥生時代かそれ以前からこの湿地帯で人々が稲作を営んでいたことを示す、動かぬ物証です。練馬の歴史が、単なる江戸近郊の農村史ではなく、先史時代から続く人間の営みの積み重ねであることを、この足跡は力強く物語っています。

私たちが歩く緑道の下には、数千年も前にこの湿地で稲作を営んでいた祖先たちの、生々しい足跡が刻まれているのです。

この古代の記憶に触れるための「隠れた宝石」は、特別な博物館にあるわけではありません。かつて村の暮らしを支えた水路の跡地が、今では私たちの憩いの場となっています。貫井川緑道や中新井川緑道といった、古代の水路跡をたどる遊歩道を歩き、周囲よりわずかに窪んだ地形を意識してみてください。それは、かつて川が流れていた紛れもない証拠です。目を閉じれば、湿地を歩く古代人の足音が聞こえてくるような、そんな「想像力の考古学」を体験できるでしょう。古代の自然から、次は江戸時代の人々の往来が生んだ賑わいへと、時間を進めてみましょう。

貫井川緑道
貫井川緑道

バス停の名前に残る、江戸の商業ハイウェイの記憶

都市の発展は、常に交通路と共にありました。江戸時代、中新井村の背骨となったのが、江戸と武蔵国の清戸(現在の清瀬市)を結んだ「清戸道(きよとみち)」です。この道は単なる物資輸送路ではなく、近郊の農作物を巨大都市・江戸へと供給する経済の大動脈でした。

この清戸道に沿って、中新井村には「上新街(かみしんがい)」と「下新街(しもしんがい)」と呼ばれる新しい商業集落が形成されました。これは、村が単なる農村から、人と物が行き交う商業拠点へと変貌を遂げた証です。昭和の時代に行われた大規模な区画整理によって、かつての街並みは姿を消しましたが、その記憶は意外な形で現代に生き続けています。

日常の風景に溶け込んだバス停の名前ひとつが、かつて江戸の活気を支えた賑やかな街道の存在を、静かに語り継いでいます。

その歴史の証人こそ、目白通りに残るバス停「下新街」という「地名の化石」です。日々の暮らしに溶け込んだこのバス停の名前が、かつてこの場所にあった賑やかな商業地の記憶を今に伝えています。そしてその近くには、農業と商業の双方を守った於林稲荷神社が佇み、この地が育んだ経済の魂を今も静かに見守っています。商業の賑わいが村の経済を支えた一方で、人々の心の拠り所となったのは、村の精神的な中心地でした。

林稲荷神社
林稲荷神社

都会の森に、村の魂は生き続ける

日本の伝統的な村落において、鎮守の神社は単なる信仰の場ではありませんでした。それは村のアイデンティティを形成し、人々の暮らしを守り、コミュニティを繋ぐ社会的な核でした。中新井村もまた、二つの主要な神社によってその魂を育んできました。

一つは、村の公式な守護神である豊玉氷川神社。氷川信仰は伝統的に治水や水利と深く結びついており、この地が川の流域にある低湿地であったことへの直接的な応答でした。つまり、神社の選択そのものが、この村の地理的な宿命を物語っているのです。そしてもう一つは、清戸道沿いの農業と商業の繁栄を支えた於林稲荷神社です。この二つの神社がそれぞれ異なる役割を担っていたことは、中新井村が自然と向き合う農村であり、同時に街道の賑わいに生きる商業の村でもあったことを象徴しています。

高層ビルに囲まれた今も、神社の森は深く呼吸している。それは単なる緑地ではなく、村が千年以上にわたって育んできた魂の避難場所なのです。

訪れるべき「隠れた宝石」は、社殿そのものだけではありません。都会のオアシスであり、この土地の古代の生態系を保存する神社の「社叢林」こそ、真の宝です。これらの森は、都市化される前の練馬の自然がどのような姿であったかを伝える、生きたタイムカプセルなのです。村全体の大きな祈りの場から、次はもっと個人的で、道端にひっそりと佇む人々の切実な祈りの形に目を向けてみましょう。

神社の森
神社の森

道端の石に刻まれた、江戸庶民の切実な祈り

住宅街の路地裏や道の辻に、忘れ去られたように佇む古い石塔。これらは庚申塔(こうしんとう)と呼ばれ、江戸時代の庶民の暮らしと信仰を今に伝える、力強い歴史の証人です。正徳年間(1711-1715年)**頃に造立されたものも残る中新井村の庚申塔には、病を退ける青面金剛(しょうめんこんごう)や三猿が刻まれ、「衆病悉除身心安楽」という切実な願いが記されています。

しかし、これらの石塔は単なる信仰の対象ではありませんでした。新井薬師のような寺院への巡礼路を示す道標であり、村の境界を示すサインでもありました。さらに、旅人と馬の安全を守る馬頭観音(ばとうかんのん)の石塔も共に残されていることは、清戸道が信仰の道であると同時に、物資を運ぶ馬が行き交う商業の道であったことを示唆しています。

見過ごしがちな路傍の石仏は、医療もナビもない時代を生きた人々が、旅の安全と日々の健康をいかに切実に願っていたかを伝える、声なき歴史の証人です。

あなたも「石の探偵」になって、住宅街の路地にひっそりと佇む「三之橋庚申塔」などの石塔群を探してみてはいかがでしょうか。その一つひとつに触れることは、何百年も前にこの地で生きた人々の不安や祈りに、直接触れるような体験となるはずです。

「三之橋庚申塔」ばとうかんのん
「三之橋庚申塔」ばとうかんのん

Re-discovering the Layers of Your City

ビールの歴史を拓いた一粒の麦、アスファルトの下に眠る古代人の足跡、バス停の名前に残る商業の記憶、都会の森として生き続ける村の魂、そして道端の石に刻まれた庶民の祈り。これら5つの物語は、東京という都市が、中新井村のような無数の「忘れられた村」の記憶が幾重にも重なってできた、豊かなモザイクであることを教えてくれます。

歴史は博物館の中だけにあるのではありません。地名、地形、そして道端の石仏の中に、それは静かにコード化され、私たちに発見されるのを待っています。

あなたの足元には、どんな物語が眠っているでしょうか?

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