東京・杉並町――杉の並木と、名前だけが残ったもの
東京・杉並を巡る歴史散歩の物語です。青梅街道の消えた杉並木や天沼の湧水池、関東大震災後の人口急増の歴史を通じて、実物よりも長く生き続ける「杉並」という地名の由来と、失われた東京西郊の都市記憶をたどります。
これは東京・杉並区を巡る歴史散歩の物語と詳細なウォーキングガイドです。青梅街道の消えた杉並木、天沼の湧水池、そして関東大震災後の鉄道拡張の歴史をたどりながら、実体よりも長く生き続ける地名の由来と、東京西郊の知られざる都市の記憶を紐解きます。
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高円寺駅の南口を出て、パル商店街とルック商店街のあいだまで歩くと、石の柱が二本立っている。橋の親柱で、旧宝橋という名が刻まれていると、訪れた人は書いている。けれども、橋の下に川はない。川は地下に入り、上は歩道になっている。
柱は、橋の名だけを覚えている。杉並という土地には、同じことが何度も起きている。
一 杉並木
青梅街道に、杉の木はない。それでも、区の名は「杉並木」から来ている。区の説明は慎重で、「といわれる」としか書かない。江戸時代の初め、成宗村と田端村の領主だった岡部氏が、領地の境の目印として、青梅街道沿いに杉を植えた。その並木は明治になる前になくなった。
岡部氏の痕跡は、成田東の天桂寺にある。寛永十年(一六三三)ごろ、北条氏重臣の松田康秀の家臣で、のち徳川の旗本となった岡部吉正が開いた曹洞宗の寺である。歴代の墓は区の有形文化財で、境内の石造の聖観音には寛文四年(一六六四)の年号がある。安政三年(一八五六)の大風で建物はすべて倒れ、いまの本堂は大正十二年(一九二三)の建立である。
消えた杉並木と名前の亡霊
明治二十二年(一八八九)、高円寺・馬橋・阿佐ヶ谷・天沼・田端・成宗の六つの村が合わさり、杉並村になった。もうなかった並木の名が、新しい村の名になった。大正十三年(一九二四)に町、昭和七年(一九三二)には区になり、境の目印は、およそ三四平方キロメートルの名になった。

二 天沼の池
天沼三丁目の公園には、かつて湧水の池があった。円形で直径三五メートルほど、中の島に弁天が祀られていた。区の記録では、大正の半ばごろまで、日照りが続くと農民が集まり、雨乞いをしたという。この池は桃園川の水源のひとつで、川は阿佐谷、馬橋、高円寺を東へ流れて神田川に入った。
地図から消された村と神社の決断
水量は少なく、江戸時代の中ごろには千川上水や善福寺川から水を引いて補った。「桃園川」という呼び名が使われるようになったのは、一九三〇年代の後半以降だという。昭和二十七年(一九五二)に準用河川となり、昭和四十五年(一九七〇)までに暗渠化が終わった。いまの池は、平成十九年(二〇〇七)に公園のなかに復刻されたものである。
池が「天沼」の地名の起こりだというのは、伝承にとどまる。阿佐ヶ谷の名を浅い谷に求める説も、確かめられてはいない。

三 駅と、四倍になった村
関東大震災の前、中野から荻窪のあいだは、農地と雑木林が広がり、線路の北側には軍用地があった。大正十一年(一九二二)七月、阿佐ヶ谷駅と高円寺駅が開業する。翌年九月の震災のあと、都心から多くの人が中央線沿いに移った。大正九年から十四年の五年間で、杉並村の人口はおよそ四倍になった。昭和五年(一九三〇)の人口は七万八千百七十六人である。
震災が生んだ巨大な街・杉並
文士も移り住み、のちに阿佐ヶ谷文士村と呼ばれた。井伏鱒二を中心にした阿佐ヶ谷会は、昭和十三年(一九三八)ごろから昭和四十七年(一九七二)ごろまで続いたとされる。ただし、井伏が住んだのは荻窪で、そこは当時、隣の井荻町だった。文学の地図の「阿佐ヶ谷」は、行政の杉並町より広い。
もうひとつ、触れておかなければならないことがある。同じ震災のあと、根拠のない流言から、軍、警察、自警団によって、関東の各地で多くの朝鮮人が殺された。杉並町に結びつく記録は、今回の調査では見つけられなかった。したがって、ここで何かを言うことはしない。災害の上にできた郊外は、その災害がしたことと、地続きの場所にある。

四 気象神社
馬橋四丁目、いまの高円寺北四丁目に、陸軍気象部があった。昭和十六年(一九四一)十二月八日、気象管制が敷かれ、終戦までの三年八か月、新聞とラジオから天気予報が消えた。予報はつくられていた。塀の内側で。
昭和十八年の夏、気象部長が神社の造営を命じ、翌十九年四月に、知恵の神である八意思兼命を祀る社ができた。観測員は勤務の前に、予報が当たるよう祈った。昭和二十年に空襲で焼け、再建されたが、終戦を迎えた。戦後、神道指令で国家の神社は廃止されるはずだったが、連合軍の調査から漏れた。はじめは馬橋稲荷に引き取られる予定だったものが、両社の神職の話し合いで、昭和二十三年(一九四八)に高円寺氷川神社へ移った。区の説明では、全国で唯一の気象神社である。
消えた天気予報と日本唯一の「気象神社」
八意思兼命が八つの気象をつかさどるというのは、現在の神社の説明で、近代の解釈にあたる。気象部の跡地は戦後、気象研究所になり、昭和五十五年(一九八〇)につくばへ移った。昭和六十年(一九八五)三月、跡地は馬橋公園として開園した。
Holographic Sensory Cue: 馬橋公園には、防火のための常緑樹(シイ、シラカシ、タブ)が植えられていて、いまも確かめられる。気象神社では、毎年六月一日の気象記念日に祭りが行われる。

五 名前を入れる器
馬橋の物語は、馬橋稲荷神社が伝えている。天保二年(一八三一)、馬橋村の家長五十三人が金を出し合い、京都の白川家に願い出て、稲荷の神号を受けた。昭和七年、町が東京市に編入された記念として、昇り龍と降り龍を彫った石鳥居が奉納された(区の案内は「杉並村」と書くが、当時はすでに町である)。
地図から消された「幻の町」の行方
昭和四十年(一九六五)、住居表示の実施で「馬橋」の地名は地図から消えた。神社はそれを惜しみ、社名を馬橋稲荷神社と改めた。昭和四十四年には、成宗と田端から一字ずつ取って「成田」の町名ができた。高円寺の名は別の道をたどる。三代将軍家光が鷹狩りのたびに曹洞宗の高円寺に立ち寄り、村名がそれにちなんで改まったといわれる。これも伝承である。
Resonance Node: 馬橋稲荷神社の龍の鳥居。地図から消えた名前を、神社が儀式とともに預かっている。

いまの場所
杉並木も、池も、川も、軍の施設もない。残っているのは、平成十五年(二〇〇三)に再建された気象神社の小さな社、天桂寺の岡部家の墓、龍の鳥居、川跡の歩道、公園の防火樹である。
ここで失われたものの多くは、名前で呼べるものだった。並木、池、川、村、軍の部署。残ったのは、名前をつぎの器に移すという習慣である。神社、公園、区。
終わりに
旧宝橋の二本の柱は、橋のない道に、橋の名を立てている。
Accessing the Physical Node
- アクセス: JR中央線で高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪へ。新宿から8〜10分ほど。
- 気象神社(高円寺氷川神社): 高円寺南4-44-19。JR高円寺駅から徒歩約2分。境内は自由に参拝できる。気象祭は6月1日。8月末の東京高円寺阿波おどりは、昭和32年に氷川神社への奉納踊りとして始まったと伝えられる。
- 馬橋公園: 高円寺北4-35-5。高円寺駅から徒歩約15分。無料。
- 馬橋稲荷神社: 阿佐谷南2-4-4。龍の鳥居がある。
- 天沼弁天池公園: 天沼3-23-1。郷土博物館分館が併設されている(案内では9時〜17時、月曜・第3木曜・年末年始休館)。訪問前に確認を。
- 天桂寺: 成田東4-17-14。荻窪や南阿佐ヶ谷から歩ける。経路は地図アプリで確認を。
- 関連施設: 杉並区立郷土博物館(大宮1-20-8)に、井伏鱒二と阿佐ヶ谷文士を紹介する準常設展がある。現在の展示は事前に確認を。
- 資料と留保: 杉並区の文化財案内標示板と公式ページ、東京都の桃園川暗渠化に関する資料に拠った。昭和6年の『豊多摩郡杉並町現状調査』は閲覧できておらず、さらなる史料確認を勧める。
💡 Q&A
Q1 | 東京の杉並区に杉の木が一本もないのはなぜ?「杉並」という地名の歴史的由来とは? (青梅街道の境界標と岡部氏の考証)
答:歷史記錄顯示,「杉並」的由來可追溯至江戶時代初期,成宗村與田端村的領主岡部氏為作為領地界標,在青梅街道沿線種植了杉樹。雖然這些樹木在明治時代以前便已消失,但在1889年6村合併時仍將新村命名為「杉並」,並於1924年升格為「杉並町」,使這個名字比實物更為長壽。岡部氏的歷史則可追溯至建立於1633年的天桂寺,其歷代墓園現被指定為杉並區有形文化財。
Q2 | 杉並区天沼にあった「弁天池」はどのような役割を持っていた?桃園川が地中から姿を消した暗渠化の歴史とは? (天沼の湧泉祈雨と河流の変遷)
答:位於天沼的湧泉池過去曾是當地重要的宗教與農業中心,直到大正時代中期,當地農民仍會聚集於池畔舉行祈雨儀式。該池作為桃園川的水源之一,河水向東流經阿佐谷等地匯入神田川。隨著昭和時代「桃園川」名稱普及及戰後都市發展,河川於1970年前完成全面加蓋暗渠化成為下水道幹線,今日的池則是2007年在公園內重建的景觀。
Q3 | 関東大震災は東京・杉並の人口と都市景観をどう変えたのか?中央線開業と人口4倍急増の歴史的真実とは? (1920年代の郊外化と急速な都市化)
答:1922年中央線阿佐谷與高圓寺車站的啟用,奠定了當地郊外化的基礎。隨後1923年9月的關東大地震摧毀了東京市中心,促使大量災民與居民沿中央線向西遷移,導致杉並村的人口在短短5年間暴增約4倍,並於1924年升格為町,1930年代人口突破7萬餘人,徹底將原本的農田與雜木林轉化為現代住宅區。
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📖参考文献とさらに読む
第一層:一次資料と制度的起源
- 東京市臨時市域擴張部『豊多摩郡杉並町現状調査』, 1931. National Diet Library Digital Collections. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1900484. Not accessible in this pass (page shell only). Priority source.
- Cabinet Office (Japan), disaster-lessons report on the 1923 Kantō Earthquake, ch. 4 sect. 2 (occurrence of killings). https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf. Used for regional context only.
第2層:二次学術文献
- Suginami Ward, "天桂寺" cultural-property plaque page. https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7521.html. Opened. Source for Tenkeiji, the Okabe and the 1664 Kannon.
- Suginami Ward, "天沼弁天池公園". https://www.city.suginami.tokyo.jp/s100/shisetsu/14578.html. Opened. Source for the park's 2007 opening and area.
- Suginami Ward, "青梅街道と都電杉並線". https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7561.html (and https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1008030.html). Ōme Kaidō, post-station villages, tram history.
- Suginami Ward, Mabashi Inari Shrine plaque and leaflets. https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7413.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/motto/sports/25351.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/25350/suginami_0301_1-3.pdf; https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7470.html. Source for the 1831 petition, the 1932 torii and the 1965 renaming.
- Suginami Ward, Kōenji and Hikawa Shrine plaque pages. https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7483.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7482.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007934.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007935.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007927.html; https://www.city.suginami.tokyo.jp/sports/bunka/bunkageijutsu/bunkazai/hyouji/kouenji/index.html. Weather shrine ("only one in Japan"), Iemitsu tradition.
- Suginami Ward, Momozono River page. https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7480.html. Course and source of the river.
- Suginami Ward, Narimune Hakusan Shrine plaque. https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/7517.html and https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007977.html. The 1559 Hōjō register.
- Suginami Ward overviews. 2017: https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/10615/2017kusei-gaiyo.pdf; 2025: https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/10615/kusei2025.pdf; profile: https://www.city.suginami.tokyo.jp/s012/10606.html. Pre-1889 "Suginami" place names; 1932 population; 2026 population.
- Suginami Ward, Asagaya-Kōenji area planning document (machi-kihon). https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/6418/matikihon_3.pdf. Source for the quadrupling, pre-quake landscape, May 1945 burning and the 1963 culvert statement.
- Suginami Ward, Ogikubo town-planning newsletter. https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/1635/ogikubomachidukuridayori-1.pdf. Museum hours (verify).
- Suginami Ward, literature exhibition pages. https://www.city.suginami.tokyo.jp/s113/event/25009.html. Ibuse and the Asagaya writers.
- Suginami Ward, Tekigaisō restoration project. https://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/tekigaiso/fukugen/index.html; Cultural Affairs Agency feature, https://www.bunka.go.jp/kindai/showa100th/04/index.html. Background only; the site is outside the narrative.
- Tokyo Metropolitan Government Bureau of Construction, Momozono River culvert document. https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/documents/d/kensetsu/000071334-1-. 1952 and 1970 dates.
- Suginami-gaku, historic maps and digest. https://www.suginamigaku.org/data/suginami-oldmap01.html; https://suginamigaku.org/docs/suginamigaku_digest2024.pdf. Town and village chronology, 1926 conversions.
- Hosei University Ōhara Institute research, 1923 Kantō massacre. https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/669-01.pdf; https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/668-04.pdf; https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00010410/669kim.pdf; https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00010252/668yamamoto.pdf.
- Sekihara Masahiro, Hitotsubashi University doctoral thesis on the state and localities in the 1923 killings. https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/72500/soc020202100703.pdf.
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- Japan Federation of Bar Associations, centenary statement, 31 August 2023. https://www.jlaf.jp/wp-content/uploads/2023/08/2023.8.31 関東大震災100年声明【確定版】.pdf (URL contains a space).
- Meiji University repository, research report (Asagaya and literary history). https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/17478/files/kaken_22K13043_98.pdf.
- Ochanomizu University teaching database. https://kyozai-db.fz.ocha.ac.jp/downloadpdfdisp/2068. Weather-censorship context.
- Japan Institute of Architects (Kantō), exhibition description. https://www.jia-kanto.org/shushiten/2019/data/09/files/descript_01.pdf. Momozono-area context (not relied on).
- Hosei University Edo-Tokyo Project student presentation (Kōenji). https://edotokyo3.ws.hosei.ac.jp/application/files/5315/4355/3675/06.pdf. Kōenji temple 1555 and the 1945 station burning (T3 quality).
第3層:経絡の補修
- Japanese Wikipedia: 杉並町 https://ja.wikipedia.org/wiki/杉並町 (opened); 杉並区の町名 https://ja.wikipedia.org/wiki/杉並区の町名 (opened); 杉並区 https://ja.wikipedia.org/wiki/杉並区; 気象神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/気象神社; 陸軍気象部 https://ja.wikipedia.org/wiki/陸軍気象部.
- Wikipedia mirrors: Weblio https://www.weblio.jp/content/杉並町; pedia.3rd-in https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/成田 (杉並区), https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/成田西, https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/都電杉並線, https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/1941年のラジオ (日本). Used only where nothing better was found.
- このまちアーカイブス (local-history pages on a real-estate company's site). https://smtrc.jp/town-archives/city/koenji/p05.html; https://smtrc.jp/town-archives/city/ogikubo/p02.html; https://smtrc.jp/town-archives/city/ogikubo/p03.html; https://smtrc.jp/town-archives/city/ogikubo/p05.html. Tram, subway and Asagaya street dates.
- 乗りものニュース (Traffic News), Seibu tram history. https://trafficnews.jp/post/82156; "air culvert" article https://trafficnews.jp/post/614628.
- Shrine and travel pages on Kōenji Hikawa and the weather shrine: https://tabi-mag.jp/tk1256/; https://tabi-mag.jp/tk1257/; https://tabi-mag.jp/tk1258/; https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk1257/; https://jinjamemo.com/archives/kouenjihikawajinja.html; https://gosyuinlog.com/koenji-hikawa_kisho-jinja/; https://senseki-kikou.net/?p=1399; https://jinja.tokyolovers.jp/tokyo/suginami/kouenjihikawajinja; https://koenji-hikawa.com/kisho_jinja/ (the shrine's own site); https://minomushi.work/mimi/koenji-hikawajinja/.
- Weather censorship: https://data-max.co.jp/article/22737.
- Asagaya literary scene: https://www.nomu.com/machikara/4668/; https://gentosha-go.com/articles/-/27938; https://www.museum.or.jp/event/125459; https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20180512/136486.html.
- Momozono River features: https://bunshun.jp/articles/-/55161; https://allabout.co.jp/gm/gc/449688/image/; https://san-tatsu.jp/articles/519683/; https://4travel.jp/dm_shisetsu/11334727 (Takara Bridge pillars, a visitor report).
- 1923 context: https://www.factcheckcenter.jp/fact-check/history/verification-kanto-earthquake-korean-claims/; https://www.tokyo-np.co.jp/article/274461.
- Directory and statistics pages: https://itp.ne.jp/zenkoku/tokyo/suginamiku/bijinesu/ (Awa Odori 1957 statement); https://www.citypopulation.de/ja/japan/tokyocity/13115__杉並区/; https://www.seikatsu-guide.com/info/13/13115/1/.






