(JPN) 歩いて辿る、香港・長洲島の重層的な歴史:海賊の隠れ家から植民地の境界線まで

香港・長洲島の意外な歴史を深掘り。土地所有権の謎、海賊張保仔の転身、疫病から生まれた饅頭祭、植民地時代の隔離政策から戦後の人道支援まで。土地の記憶を歩いて辿る、重層的な歴史紀行。

康樂新村與嘉道理的「助人自助」
康樂新村與嘉道理的「助人自助」
長洲を支配した謎の宗族「黄維則堂」とは何者ですか?
伝説の海賊・張保仔が清朝の将校に転身した驚きの経緯は?
1919年の居住条例が長洲に遺した「隠れた境界線」の正体は?

啞鈴状の島に刻まれた時間の層

セントラル5番埠頭からフェリーに揺られ、喧騒を置き去りにして辿り着く長洲島(チュンチャウ)。この島を地図で眺めれば、二つの花崗岩の塊が砂州(トンボロ)によって辛うじて繋ぎ止められた「ダンベル型(啞鈴状)」の輪郭が浮かび上がります。しかし、この細い砂の橋は、単なる地理的造形ではありません。それは数世紀にわたり、漁業者、商人、海賊、そして帝国官僚たちがそれぞれの欲望と秩序をぶつけ合ってきた、葛藤の舞台(プラットフォーム)なのです。

長洲は、香港で最も古い居住区の一つでありながら、常に「境界の実験場」であり続けてきました。かつては大嶼山(ランタオ島)南西部の村々を結ぶ商業の結節点であり、海上の覇権を握る者たちが富を隠した拠点でもありました。観光地としてののどかな風景の裏側には、土地の所有権を巡る中世的な法理、疫病という災厄を「信仰」によって集団的レジリエンスへと転化した記憶、そして人種によって空間を切り裂いた見えない境界石が、地層のように積み重なっています。この島の路地を歩くことは、ハイライトをなぞる観光ではなく、積み重なった時間の断層を剥がし、都市の強靭さの本質に触れる知的な冒険となるはずです。

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観光の歴史に関する魅力的な物語に注意深く耳を傾けてください

会話型放送では

地骨と地皮の百年博弈:黄維則堂による土地支配の物語

長洲の路地を歩き、地面を踏みしめるとき、私たちは香港の法制史上でも極めて特異な「二元土地制度」の上に立っています。清朝時代の中国南部には、土地の根本的な所有権である「地骨(Ge-gu/Subsoil Rights)」と、その表面の利用権である「地皮(Ge-pi/Topsoil Rights)」を分離して管理する慣習がありました。

この島において、その「地骨」を握り続けたのが、南宋時代に福建省莆田から新安県北頭村(現在の広東省)へと移り住んだ一族の宗族組織「黄維則堂」です。乾隆年間に清朝政府から「承墾執照(開墾許可証)」を得た彼らは、1898年にイギリスが新界を租借した後も、その権利を驚くべき執念で維持しました。1905年、植民地政府は統治コストを抑える実用主義的な判断から、島の私有地の約9割を「集団官契(Block Crown Lease)」として黄維則堂の名義で一括登記したのです。これにより、住民は政府ではなく一族に賃料を払うという、いわば「国中之国(国の中の国)」の構造が1995年まで続くこととなりました。

時代

権力の主体

法的根拠

業権の属性

清朝期

黄維則堂

新安県北頭村から申請した承墾執照

伝統的な二元業権(地骨権)の保有

1905年 - 1995年

黄維則堂

集団官契 (Block Crown Lease)

唯一の合法的な地主としての独占的支配

1995年以降

香港政府

集団政府契約(長洲)条例

政府が業権を回収、住民との直接契約へ

植民地政府がこの中世的な宗族支配を温存したのは、基層統治を既存の権威に外注するための高度な政治的妥協でした。しかし、この「地骨」と「地皮」を巡る博弈(駆け引き)は、土地の支配者が一族から政府へと移り変わる一方で、海の上ではまた別の権力闘争を生み出していました。

「地骨」與「地皮」
「地骨」與「地皮」

海賊王から海軍将校へ:張保仔の戦略的選択とその遺産

土地の支配権が一族の手の中にあった一方で、島の周囲を囲む海には、暴力によって秩序を規定する別の権力が君臨していました。19世紀初頭、南シナ海を揺るがした紅旗帮の首領・張保仔(チョン・ポウチャイ)です。全盛期には5万人もの手下を擁した彼にとって、深い入り江を持つ長洲は、略奪品の集積地であり、重要な戦略的拠点でした。

しかし、1810年の「虎門海戦」でポルトガル艦隊の圧倒的な火力の前に苦杯を喫した張保仔は、絶頂期において大胆な「帰順」という選択をします。これは敗北による降伏ではなく、両広総督・張百齢との間で交わされた、極めて高度な「交渉による平和」でした。彼は辺境の「非合法暴力体系」を、清朝の「官僚体系」へと組織ごと売り渡したのです。

「張保仔は死罪を免じられただけでなく、清朝海軍の『守備(Shoubei)』職へと華麗なる転身を遂げ、最終的には福建副総兵(Assistant Brigade Admiral)にまで上り詰めた。彼は30隻の私設武装船の保持を許され、海賊時代の略奪品をそのまま私有財産として保つことさえ認められたのである。」

項目

帰順前(紅旗帮首領)

帰順後(清朝海軍将校)

部衆・勢力

約25,000 - 50,000人

30隻の私設武装船の保持許可

武器・装備

280隻以上の戦船、火砲2,000門

政府戦船30隻を指揮し、海賊討伐に従事

法的地位

海寇、死刑囚

守備(Shoubei)、後に福建副総兵

島西端の「張保仔洞」は、今や観光地として消費されていますが、その実体は海洋社会における「権力の置換」を物語る象徴です。彼が帰順後に島で天后廟を再建した事実は、暴力の主宰者が信仰の守護者へと姿を変えることで、海洋住民に対する精神的な統治権を再構築しようとした政治戦略の現れに他なりません。

海賊王から海軍将校へ:張保仔
海賊王から海軍将校へ:張保仔

霊的防御と衛生の現代化:1894年のペストと太平清醮(饅頭祭)

海上の覇権が秩序へと統合されていく一方で、島は目に見えない脅威——疫病——というもう一つの侵略者に直面します。1894年、香港を襲った世界的なペスト流行は、長洲においても深い断層を生みました。当時の植民地政府は「瘴気論(Miasma Theory)」と萌芽期にあった「細菌学(Germ Theory)」の間で揺れながら、家宅捜索や隔離、家財の焼却といった強権的な衛生政策を推し進め、華人コミュニティを震撼させました。

これに対し、長洲の住民(特に海陸豊出身の移民コミュニティ)が展開したのは、北帝(玄天上帝)への祈りという「信仰による危機管理」でした。当初は特定のエスニック集団による独自の儀礼であったこの活動は、疫病の沈静化とともに、島全体を包み込む「地域防御メカニズム」へと昇華していきました。これが、今日「太平清醮(饅頭祭)」として知られる祭礼の起源です。

対応主体

核心的な理論

具体的な手段

社会的結果

植民地政府

瘴気論・不完全な細菌学

強制捜査、家財焼却、強制隔離

住民の大量逃亡、根強い不信感

長洲コミュニティ

悪霊入侵・神罰論

北帝巡遊、全島素食、饅頭の塔

エスニックな連帯から島全体のレジリエンスへ

西洋の衛生科学が制度化される以前、地方社会はいかに「霊的な技術」を用いて公共の危機に対処し、コミュニティを再編したのか。饅頭祭は、単なる伝統行事ではなく、帝国の衛生権力に対する一つの回答であったのです。

1894年のペストと太平清醮(饅頭祭)
1894年のペストと太平清醮(饅頭祭)

植民地地理の隔離符号:1919年「長洲居住条例」と15個の境界石

疫病による「霊的な境界」が引かれた一方で、島には法的・人種的に「越えられない物理的境界」が刻まれました。20世紀初頭、香港島のピークと同様の種族隔離政策が長洲にも適用されたのです。

1919年、政府は「長洲(居住)条例」を制定し、島の南部の高台を西洋人伝教士らのための「白人専用特区(Reserved Area)」に指定しました。華人議員・何福(Ho Fook)はこれを「人種差別的立法」として激しく批判しましたが、政府は強行。その物理的な証左として、1から15までの番号が振られた「境界石(Boundary Stones)」が設置されました。1938年の記録によれば、この保護区内に建てられた36軒の住宅のうち、華人が所有するものは「一軒も存在しなかった」という事実が、その隔離の徹底ぶりを物語っています。

区域

法的地位

居住者の特徴

社会施設

南部山頂 (The Peak)

1919年条例による保護区

欧米の伝教士、政府高官

専属別荘、観音湾ビーチ

中部村落 (The Village)

自由居住区

華人漁民、商店主、労働者

密集した街路、北帝廟、東湾

特筆すべき歴史の皮肉は、現在も残る境界石No.14の所在です。それは今、皮肉にも人々に癒やしを与える「聖約翰医院(St. John Hospital)」の敷地内に鎮座しています。かつての隔離の象徴が、平等の象徴である病院の内部に飲み込まれている姿は、植民地地理学の変遷を象徴する風景と言えるでしょう。

1919年「長洲居住条例」と15個の境界石
1919年「長洲居住条例」と15個の境界石

戦後人道主義の実験:康楽新村と嘉道理農業輔助会

第二次世界大戦後、植民地時代の「隔離の壁」が崩壊し始めると、長洲は「国際的な人道主義」の実験場へと姿を変えます。1950年代の難民流入と伝統的漁業の衰退に対し、冷戦下の地政学的戦略も含めた慈善活動が、島の風景を塗り替えていきました。

嘉道理(カドゥーリー)兄弟による「嘉道理農業輔助会(KAAA)」は、豚の配布や無利子貸付を行う「助人自助(自立支援)」計画を推進。さらに1960年代には、北米の寄付によって、劣悪な環境にあった難民を収容するための「康楽新村(Care Village)」が建設されました。これらは、共産主義の浸透を防ぐために辺境の貧困層を安定させるという、冷戦期の戦略的慈愛の側面も持っていました。

この時期、島内の医療も伝統的な「長洲方便医院」から、現代的な西欧医療を提供する「聖約翰医院」へと移行し、伝統的宗族社会は現代的な福祉言説へと組み込まれていきました。

【廃墟の美学:長洲方便医院】 路地の奥に佇む、1988年に閉鎖された長洲方便医院の廃墟を訪れてみてください。清末の華商たちが「海難や疫病から同胞を救う」という精神で1872年に設立したこの建物は、潮風に晒されながらも、当時の慈善精神を刻んだ石碑を今に伝えています。朽ちゆく壁に宿る歴史の重みは、現在の効率的な医療システムが失った「互助」の記憶を呼び覚まします。

康樂新村與嘉道理的「助人自助」
康樂新村與嘉道理的「助人自助」

重層的な観察から読み解く都市のレジリエンス

長洲島の歴史を辿る旅は、土地、海賊、疫病、隔離、救済という5つの断層を編み直す作業です。これらの物語に通底するのは、この島が常に外部の権力——清朝の官僚、帝国の隔離政策、あるいは国際的な開発言説——に晒されながらも、それらを「制度の共生」や「信仰による再構築」という形で取り込み、生き抜いてきた「レジリエンス(回復力)」の強さです。

都市を理解するとは、単にハイライトを巡ることではなく、足元にある見えない境界線を、あるいは石碑に刻まれた消えかけの文字を観察することに他なりません。長洲の細い路地を歩くとき、あなたの足元には何世紀もの時間が、葛藤と和解を繰り返しながら眠っています。

次の旅では、ガイドブックを閉じ、地図には載っていない15個の境界石を探してみてください。その一つひとつが、現在の香港、そして私たちが生きる都市の形を決定づけた「力の跡」なのです。

トラベルアフィリエイト・セクション

長洲島の「深層」を探索するための実用的なガイドです。

  • アクセス: 中環(セントラル)5番埠頭から高速フェリー(約35分)または普通フェリー(約55分)が頻繁に運行。普通フェリーの甲板からは、張保仔も眺めたであろう海路をゆっくりと体感できます。
  • 歴史を感じる滞在: 島の南部(かつてのReserved Area)には、西洋建築の面影を残すB&Bが点在。隔離の歴史を思いながら、静かな山頂を散策する拠点に最適です。
  • 専門ガイドツアー: 地元の歴史研究家が案内する「ヘリテージ・ウォーキングツアー」への参加をお勧めします。黄維則堂が支配した街区の輪郭や、病院内に隠された境界石の物語を、より深く理解することができます。

参考文献と続きを読む

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